野見宿禰神社創建
 


参道の中ほど、祓橋の近くに相撲場がありますが、この度、この相撲場前に相撲の祖と称えられます野見宿禰(のみのすくね)をお祀りします野見宿禰神社が創建されました。
10月16日、御祭神の遷座に先立って社殿の清祓が奉仕され、翌17日の午後7時より創建遷座祭が厳かにお仕えされました。これまで野見宿禰は神楽殿北側の鎮守社へ他の神様と共にお祀りされており、創建遷座祭では先ず鎮守社にて祭典が執り行われ、神職や供奉者の行列により、闇夜の静寂に包まれる中、鎮守社より創建された野見宿禰神社へと御祭神が遷御されました。



翌18日には創建遷座をお祝いし、野見宿禰神社の御前にて奉祝祭が賑々しくお仕えされ、祭典中には全国相撲甚句会認定野見宿禰赤名相撲甚句会による相撲甚句が奉納された他、祭典後には地元大土地神楽保存会による出雲神楽「野見宿禰」の奉納。そして奉祝の餅まきが賑やかに行なわれました。



野見宿禰は第13代出雲國造(出雲大社宮司)である襲髄命(かねすねのみこと)に別称です。垂仁天皇の御代7年、当時大和国に当麻蹶速(たいまのけはや)という天下一の力人がおりましたが、垂仁天皇はこの当麻蹶速に匹敵する者が他にいないだろうかと御下問になられました。その際、一人の家臣が進み出て、出雲国には野見宿禰という力人がいることを申し出ると、すぐに役人が出雲国へと遣わされ、野見宿禰は朝廷へと趣きました。そして当麻蹶速と野見宿禰による御前相撲が執り行われ、野見宿禰は見事に打ち勝ち、以降、大和国へ留まって朝廷へ仕えました。このことが『日本書記』に伝えられていることから、野見宿禰は古くより相撲の祖と称えられ、今日では相撲を始めスポーツを志す人々に篤く信仰されています。
また、野見宿禰が朝廷へ仕えた際、墓陵での殉葬を取り止め、代わって埴輪(はにわ)を納める葬儀を考案。その功が称えられて焼物に適した土地を与えられ、土部(土師)職(=はじのつかさ)に任じられるなど、文武両道の神として崇められています。


 
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